川上未映子

2021.09.13

ナタリー・ポートマンさんと対話しました。

『夏物語』の英訳版『Breasts and Eggs』
愛読していただいているナタリー・ポートマンさんが、
ぜひインタビューを!ということで、お話しました。
インスタグラムに、映像をアップしています。

 

 

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2020.05.13

春の耳の記憶

 はじめに、新型コロナウイルス感染症に罹患された皆様、および関係者の皆様にお見舞い申し上げます。
 また、医療従事者をはじめ最前線でご尽力されている皆様に、深謝いたします。
 目に見えない強い不安と爽やかな初夏の光が入り混じり、ふとそれらの見分けがつかなくなるような奇妙な日々が続いていますが、事態の一日も早い終息を願うとともに、皆様におかれましてはご自愛専一のほど、心よりお祈り申し上げます。

 わたしの近況を少しお話させていただくと、本当なら、このたび英訳が刊行された
「Breasts and Eggs」にまつわるあれこれでアメリカにいる予定だったのですが、すべて来年に持ち越しとなってしまいました。
 アメリカで参加するはずだったフェスティバルのひとつ「PEN World Voices Festival」
 こちらは世界中から作家が集まるアメリカ最大の文学祭で、わたしも招待していただき、対談や朗読や懇親会などに参加する予定で素晴らしいポスターもできあがっていましたが、中止に。

 しかしPENは、いくつかのイベントをオンラインに移行して開催しているほか、登壇を予定していた作家たちに、いま聴くべき音楽、聴いている音楽10曲をリストアップしてもらい、それをシェアするという企画を立ち上げました。
 わたしのページはこちら。

 そのリストのために書いた各曲へのコメントの原文をこのブログに掲載しておきます。
 SpotifyYoutube、どちらでもクリックひとつで再生できますので、お楽しみいただけたら幸いです。
 ボンジョビと盆踊り、“BON”で踏めて嬉しいです!“みんなでボンジョビ動画”、何回もみてまう。
 またインスタグラムツイッターでも告知など日々の更新をつづけていますので、よかったら見にきてね。
 春の耳の記憶の“耳”、梯子みたいで登るもよし、降りるもよし。

 

JUST PRESS PLAY WITH MIEKO KAWAKAMI

 

 このような危機のとき「今、聴くべき音楽」や「こんな時こそ聴いてほしい音楽」を選ぶのは難しい。歌詞の内容やテーマで選んでも日本語を共有してもらうのは困難だし、何より私自身が「非常事態的にコレクトな曲」を教えてもらうより、「今、それぞれが理由もなくリアルに聴いている曲」を知りたいような気持ちにもなったから。なので今回は3月から4月にかけて、私が家事や執筆をし、少しもじっとしていられない7歳の息子と生活する中で聴いていた曲を、そのまま紹介します。2020年のこのとんでもない春に、日本の一小説家は東京の自宅でこんな音楽を聴いていたという単なる記録にしかならないけれど、何かを共有してもらえれば嬉しい。いくつかの曲にコメントをつけます。そして最初に申し上げたいのは、現在わたしが自宅に待機し、このように原稿を書くことができるのは、危険に身をさらしながら最前線で働き続けてくれている方々のおかげである。またSNSや報道を通じて、ニューヨーク、ロンバルディア、マドリード、そのほか壮絶な危機にある現場から数え切れないほどの警告と助言を受け取り、日本に意識の変化をもたらしてくれた。すべての現場にいるみなさんに心の底からの敬意と感謝を表したい。

 3月は Andras SchiffのBeethovenのピアノソナタ30・31・32番をひたすら聴いていた。そこではすべてが完全で透明でありながら完全にカラフルであるという不思議な状態が起きる。人間存在をがんがんに揺さぶるBeethovenがAndras Schiffの音色を帯びることによって離陸し、形而上でも形而下でもない──まるでカントとニーチェのあいだのような特殊な場所に連れ出してくれる。彼の演奏はそれが善きものであれそうでないものであれ、人類と未知のものの関係を想起させる特別なものだ。

 The Beatles「Abbey Road」。デモ音源や未収録テイクが嬉しい。十代の頃ブートレグ屋でレア音源やVHSを朝から晩まで掘っていたのが懐かしい。

 Cyndi Lauper「Unconditional Love」。素晴らしいアーティストは無数にいるが、傷ついた人を鼓舞するでも同情するでもなく、ただ抱きしめてくれるのは彼女なんだといつも思ってる。

 Lana Del Reyの「Love Song」。この濃厚な一曲は、女性をエンパワメントする正しい楽曲があふれる中で異様な強さを放つ。一周して、まるでステレオタイプの異性愛こそが最もラディカルで批評的であるのだと言わんばかりの強烈な実存がある。

 4月に小説が英訳されたその本の執筆中も今も、窓から淋しくて美しい夕焼けが見えると必ずFeist「Now At Last」を聴く。

 TOM☆CAT「TOUGH BOY」。核戦争後の人類のサバイブを描いたアニメの主題歌で、80年代に一世風靡した。頭の中で「Tough Girl」に置き換えて歌ってる子どもの頃から変わらない最高のアンセム。

 ZOO「Choo Choo TRAIN」は91年に日本中が熱狂した曲で、当時も今も死ぬほどダサいと思っていたし耳を塞いで生きてきた。なのに30年後の今、自粛生活も長くなりすべてが限界に達した息子がいきなり、サビの部分を発作的に歌いながら踊りだしたのだ。驚愕した。念入りに、慎重に避けていたのに一体どこで感染したのか。オリジナルを聴かせてくれとせがまれて渋々アレクサに頼んで流してみると、もっと驚くべきことに、なぜか自然に体が動いて気分も明るくハッピーになってしまったのである!死ぬほどダサいと思っていたこの曲になぜ。そういえばアメリカでは日本のシティポップが爆発的に人気中らしくて何でかなと思っていたけど、ひょっとしてこういう軽快さと関係ある?
 しかし流行歌というのは時に真に素晴らしく、ある意味で怖いものだ。瞬時に一体感を生むし、どれだけ避けようとしても逃げられず、知らないあいだに我々の一部になって共存している。この動画は素敵で好きです。ちなみに日本には盆踊りというみんなで輪になって踊る慰霊のためのダンスがあるが、これは日本のニュー盆踊りソングです。

 

 

アンドラーシュ・シフ
<ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 32 Vol.8> 2008

アンドラーシュ・シフ 
<ベートーヴェン ディアヴェリ変奏曲>2013

ザ・ビートルズ
<アビーロード>Super Deluxe Edition 2019
ディスク1-2 Something(2019mix)
ディスク2-10 Golden Slumber/Carry That Weight (take1?3)

シンディ・ローパー
<Unconditional Love>

ファイスト
<Now At Last>

ディアンジェロ
<The Charade> Black Messiah 2014

ビリー・マーティン
<It’s a Fine Day>

ラナ・デル・レイ
<LOVE SONG> ノーマン・ファッキン・ロックウェル 2019

TOM☆CAT
<TOUGH BOY>2014

ZOO
<Choo Choo TRAIN> 1991

 

 

2019.12.06

URLを変更しました。

この川上未映子サイトのURLを、
http から https
に切り替えました。
これで、ブラウザに「安全なサイトではありません」とか表示されないようになりました。よかったです。

いままでのアドレスでも転送するように設定していますが、今後、ブログはこのURLにリンクを張るようにしてください。ブックマークの変更もお願いいたします。
https://www.mieko.jp

ブログではなかなか更新 できず&ご無沙汰しておりすみません、近況や告知はInstagramと、
このサイトのニュースページに随時アップしていますので、全方位、どうぞよろしくお願いいたします。
ニュースページのURLも、
https://www.mieko.jp/news
に変更となります。

初めて来た方は、こちらのよりぬき日記も読んでみてください。

私はゴッホにゆうたりたい

フラニーとゾーイーでんがな

大島弓子を読めないで今まで生きてきた

 

著作一覧もよろしくです。

 

2019.08.05

脅迫に屈しないとはどういうことか

 

あいちトリエンナーレの
「表現の不自由展、その後」が
中止になりました。
議論は活発になされるべきですが、
展示に関して政治や政府高官などの発言により
制限と圧力が加えられたことに憤りを覚えます。
そして何より、
テロおよび危害予告など、
表現の自由を幾重にも奪う行為がなされたことに
強い怒りを禁じ得ません。

芸術と政治、表現の自由と公的資金、
また歴史認識との関係についてどう捉え理解するのか、
様々な考えかたがあり、
ひきつづき各々が思考を深めるべきですが、
ひとつだけ、
テロおよび危害予告という卑劣な行為について。

昨年10月にわたしはネット上で
殺害予告ともとれるような危害予告を受け、
数ヶ月にわたり、
開催を予定していたイベントや講演などに
登壇できなくなりました。
実はわたしは10年に渡って
複数のストーカー被害にあっており
(現在も警察の監視下にある人物もいます)、
過去にも講演が中止されるということもあったのですが、
海外から作家を招いて行う、
その秋のイベントは何ヶ月も前から
準備をしていたもので、
大変なショックを受けました。

届けを出した警察で事情を話し、
警備の徹底強化も含め、
なんとか登壇できないかと相談したのですが、
「お客さんに危害が加えられる可能性が少しでもある場合、
警察としては中止か不参加を強くお願いしたい」
と求められました。
来てくださったお客さんを危険に晒すことなど
絶対にあってはいけないことなので、
わたしも同意しました。
それ以外に方法はないということは
理解しましたが、
同時に脅迫に屈することにもなり、
またそのような卑劣な行為で他人をコントロールすることが
できるのだと暗に認めてしまったようで、
忸怩たる思いをしました。

今回の、あいちトリエンナーレの展示にたいし、
政府の介入、さらには職員個人への攻撃や誹謗中傷に加え、
ガソリンをまくなどといった、
現在考えうる限り最悪の脅迫がなされて、
議論や対話の機会もないままに、
中止に追い込まれてしまいました。

そのこと自体は本当に残念なことですが、
来場者や現場の職員たちの安全を最優先した結果について
「テロや脅迫に屈した前例となる」ことを懸念したり、
運営にたいして覚悟が足りないという意見には、
気持ちは本当によくわかるけど、
しかし今現在、
それ以外に選択肢はなかっただろうと思います。

もし実際に何かが起きてしまったとき、
「テロに屈しない姿勢」は、
そのまま「テロを誘発した無責任な行動」
に転じてしまいます。

そしてそんな理屈よりも何よりも、
現実に犠牲者が出てしまうのです。
血が流れ、取り返しのつかないことが起きてしまうのです。
何よりも避けなければならないのは
被害を未然に防ぐこと。そして、
会期中、強度の不安とストレスに
さらされつづけることになる職員の方々の安全の確保。
その意味で、中止じたいは本当に残念ですが、
わたしは、津田大介さんをはじめ、
運営による今回の判断を支持しています。

「脅迫に屈しない」
「テロに屈しない」とはどういうことなのか。

状況も違えば規模も異なる様々な現場で、
テロに屈しない姿勢とは、
意に介さないことなのか。
予定通り実行することなのか。
それとも別の方法があるのか。
ひとりひとりが考え、
知恵を出しあう必要があると思います。

わたしは、危害予告を受けたあと、
即刻、警察に被害届けを出しました。
そして、匿名によるその書き込みにたいして
情報開示請求裁判を起こし、
先日、書き込みをした人物の情報が開示されました。

その後、警察による家宅捜査が行われ、
パソコンが押収されました。
初犯であることと犯行を認め、
保証人がおり、
また逃亡の恐れがないことから
逮捕は見送りになりましたが、
これから民事裁判を起こし、
損害賠償請求をする予定でいます。

過去から続くストーカーの案件で、
警察とのやりとりの経験は継続的にあり、
いわば「慣れている」わたしでさえ、
(そしてわりとタフなわたしでさえ)
被害に遭い、
そのことに向きあって、
さらには裁判を起こすというのは、
強いストレスを感じます。

けれど、危害予告という卑劣な行為にたいして
泣き寝入りをすることは絶対にしません。
今後、もしまた同じようなことが起きても、
即時、同様の対応をとります。

昨年の秋の大切な仕事での
登壇はかないませんでしたし、
いろんな方々にご心配とご迷惑をかけてしまったことは
取り返しがつきませんが、
しかし、このようにして、時間をかけて、
「絶対に脅迫には屈しない」
「卑劣な行為は絶対に許さない」
という意志を示すこともできるのではないでしょうか。
卑劣な行為をした人物は責任を追求され、
罰せられるという「前例」になるのではないでしょうか。

また、表現者は、今回のような、
行政による馬鹿げた抑圧と顛末を
しっかりと目を見ひらいて観察し、
批評性を磨き、表現の本来をその作品で発揮しましょう。
みんなひとりだけど、ひとりじゃないぜ。

 

 

2019.07.10

夏物語の夏のはじまり

 新しい小説『夏物語』が、このたび刊行されました。

 とうとうこの日が、と感慨深くてたまりません。

 

NatuMonogatari
<長編小説『夏物語』。成長した緑子も登場する『乳と卵』の続編!>

 

 わたしたちにとってとりかえしのつかないものの筆頭は「死」であると思うのですが、同じように、
生まれてくることのとりかえしのつかなさがあるんじゃないかと、子どもの頃から考えていました。

 

 11年前に書いた『乳と卵』の緑子には、生まれてきたなら生きなくてはならないけれど、そもそも生まれてこなければ、嬉しいも悲しいもさよならも何もないのだもの、だから卵子と精子を合わせることをやめたらええんとちゃうんかという、いわゆる小さな反出生主義の直感的な実感がありました。

 その問いは今もずっと続いていて、今回の物語に繋がってぐわぐわと広がりました。人が生まれて生きて死ぬことそのまま物語にして手渡したい、そのためにあの夏の3人にもう一度登場してもらって、けっか、このようになりました。『夏物語』は『乳と卵』の続編でありながら、まったく新しい夏子自身の物語になりました。

 生まれてくるとはどういうことか、誰のためのなんなのか、善いことなのか悪いことなのか、あるいはそんな評価とは一切関係のないことなのか。ひとりきりで、ある意味で子どものままで、かけがえのない存在に会うことはできるのか。会いたいって、なんなのか。わからんことばっかりですが、夏子が何を考え何を選んでどこへゆくのか、見届けていただると嬉しいです。

 

 原稿用紙で1000枚を越える長さになったんですが、従来の製本で行くと倍くらいの厚さ、重さになるところを、いちばん軽くて薄い紙を使っていただき、驚きの軽さ、最高の形状、手触りになりました。

『夏物語』が、読んでくださったみなさんの物語になりますように。願って願ってやみません。

 

natuPoster

 

 このブログのニュースページInstagramでも、刊行記念イベントなどさまざま更新しておりますので、よろしくお願いします。

2019.06.21

わたしのおばあちゃん

 

5月の末に、母のようにわたしを育てた祖母が亡くなりました。
昔からの読者のかたには、
エッセイなどでわりと馴染みのある祖母で、
大往生で、これ以上はないお別れができたと思います。
物心ついたときからずっと恐れていたことが
実際の出来事になってゆくのを見ているのは、
不思議な気持ちでした。

 

老衰で、体が役目を終えようとしていて、
最後はわたしの判断で点滴を外して、
最期を看取ることができました。

 

「夏物語」にはいろんなことを書いたし、
もちろんフィクションなんですが、
主人公の夏子が祖母の「コミばあ」を思う気持ちは
わたしのものでした。
老衰だから、去年でも、もっと前でも、
もしかしたら来年でもよかったかもしれないのに、
「夏物語」を書き終えたタイミングでいなくなっちゃって。
単なる偶然なんですけど、
「もー!おばあちゃーん!」
という感じです。

 

もっとああしていたら、とか、
わたしが東京でなんでもない時間を過ごしていたあのときもあのともおばあちゃんは生きていて、会おうと思えば会えたのだと思うと、
たまらない気持ちになります。

 

「あこがれ」を書いたとき、
人はすぐにいなくなるから、
会いたい人がいるなら、会いに行かなきゃと書いて、
すごくちゃんとわかっているつもりでいたけど、
わたしはなんもわかってなかったな。
いや、どうなのかな。
どうしたって、思ってしまうことなのかもしれないな。

 

仕事も、悩みも、やらなければならないことも、
迷いも悲しいこともあるけれど、
ままならないことばっかりだけど、
みんな、なんとか、なんとか!
みなさまが、
穏やかな毎日を過ごされますように。

 

 

obaacyan

 

 

2018.10.30

イベントの変更とお知らせ

11月18日に青山ブックセンター、
そして11月25日には大阪スタンダードブックスにて、
リン・ディンさんのノンフィクション「アメリカ死にかけ物語」の刊行記念イベントで、対談相手として登壇させていただく予定でおりましたが、
川上にたいして危害を加えるという予告があったために、わたしの出演は取りやめることになりました。

警備強化など対策を講じましたが、当日に会場にいらっしゃるすべてのかたの安全を確保することができないことから、このような判断になってしまいました。ご迷惑とご心配をおかけしますが、何卒ご了承いただけますと幸いです。

リン・ディンさんの対談のお相手は、
11月18日は、柴田元幸さん、翻訳者の小澤身和子さん、
そして25日大阪は、岸政彦さんに変更されることになりました。
どうぞよろしくおねがいいたします。

なお、チケットの払い戻しなどについては各書店のホームページでご確認いただけますよう、よろしくお願いいたします。

青山ブックセンター

スタンダードブックストア

2018.10.21

死にかけ対談、東京大阪11月

ノンフィクション「アメリカ死にかけ物語」刊行を記念して、
著者の、詩人で小説家のリン・ディンさんと対談いたします。
リン・ディンといえば外国文学ファンにはおなじみの、そう!
衝撃の短編集「血液と石鹸」(柴田元幸訳・2008年早川書房)のリン・ディンであります!

やったー!

今回の対談は、東京と大阪の2ヶ所です。
ぜひみなさん、ふるってご参加くださいませ!!

※川上にたいして危害を加えるという予告があったために、わたしの出演は取りやめることになりました。
ご迷惑とご心配をおかけしますが、何卒ご了承いただけますと幸いです。
リン・ディンさんの対談のお相手は、11月18日は、柴田元幸さん、翻訳者の小澤身和子さん、25日大阪は、岸政彦さんに変更されます。
チケットの払い戻しなどについては各書店のページでご確認いただけますよう、よろしくお願いいたします。

 

Sinikake<旅をしながら出会ったホームレス、ドラッグ中毒、アル中。
見過ごされた人々の「忘れられた声」を鋭く優しく描いた、
死にかけで生きてるアメリカ崩壊の記録>

 

リンが目にした、文字通り死にかけているアメリカ。
貧困、格差。人生はなんでこんな作りになってんの。
生まれたときから死にかけで、圧倒的に絶望的。
それでも街も人も国もまだ生きている、完全には死んでいないその理由。
すべての人に人生があるということに直にふれるような、
人々の「ほんとうの声」を集めた真に素晴らしい仕事、一冊です。

素晴らしい帯は、岸政彦さん。
わたしは帯と、巻末に30枚弱のエッセイを寄せました。
本書の魅力と凄まじさ、リンの文章と眼差しの鋭さ優しさについては、
全力でエッセイに書きましたが、
あらためてリンに恥じない仕事をしなければならないという思いを強くしました。
当日は、本当に聞きたいこと、
語りあいたいことがたくさんあって、今から本当に楽しみです。
リンと大阪の街に行けるのも楽しみ。
みなさんにお会いできますように。

 

Sinikake2<リンの著作。詩はまだ翻訳されていないけれど「血液と石鹸」の柴田先生のあとがきで少し読めたりします。素晴らしいです。>

 

『アメリカ死にかけ物語』(河出書房新社) 刊行記念
リン・ディン × 川上未映子 トーク&サイン会

【東京】
2018年11月18日18時
青山ブックセンター

【大阪】
2018年11月25日14時
スタンダードブックストア

 

イベントの詳細はそれぞれのHPでよろしくお願いします。
みなさまにお会いできるのを楽しみにしています!

 

Sinikake4<リンとわたし@NY>

 

 

2018.07.21

トークイベントに参加いたします!

 岸政彦さんの「はじめての沖縄」刊行記念トークイベントに参加いたします!

 

第284回新宿セミナー@Kinokuniya 『はじめての沖縄』刊行記念
岸政彦×川上未映子トークイベント 
書くことと、生きること

2018年8月3日(金) 19:00開演(18:30開場)
紀伊國屋ホール (紀伊國屋書店新宿本店4F)
入場料金 [全席指定] 1,500円
チケット購入方法や、講演終了後のサイン会についてなど
詳しくは紀伊國屋サイトをご覧ください。

 

 何からお話しようか、何から伺おうか、今から頭も胸もいっぱいです。

 それが小説でも論文でも、「真に素晴らしい」としかいえず、ページから顔をあげて深呼吸をするしかないような岸さんの文章は、いったいどこからやってくるのか──知りたいことがたくさんあります。

 事実が誰のものでもないということは理解できるけれど、
それは果たしてどの角度からみてもそうなのか。
 誰が、何を、知っているといえるのか。
 生きることと書くことの関係は?

 本当に楽しみにしています。

 

 

KinokuniyaTalk

※クリックすると大きな画像が開きます。

 

 

2018.06.24

異常な常識は変えていきたい

 早稲田大学教授である、渡部直己氏によるセクシャルハラスメント、ならびに大学側によるパワーハラスメントが疑われる複数の記事が発表されました。
 渡部氏の──教える側と教えられる側との非対称性を利用したこのような行為にはいくつものハラスメントが混在しており、また大学側の対応が事実であるのなら、これらは決して許されるものではなく、大きな怒りと失望を感じています。被害を受けられた方の心身のご恢復を、心からお祈りしています。
 この報道を受け、早稲田大学の公式ホームページには、調査機関を設置し、事実確認を進めるとの声明が出されました。複数人のプライバシーに関わる出来事でしょうから、調査にはそれなりの時間を要するかもしれませんが、大学は一日も早い調査結果の報告と見解を示してほしいと思っています。

 

 わたしは文芸誌「早稲田文学」の外部編集委員をしております。編集委員としての仕事は任期中に特集を一冊作ることで、2017年9月、責任編集者として「女性号」を刊行させていただきました。責任編集者であるわたしがすべてを企画して進め、目次を作り、依頼書を書き、82人もの女性の書き手のみなさんにお集まりいただき、大きな反響をちょうだいしました。
 今回の事件そのものと早稲田文学の──とりわけ「女性号」を一年以上かけて一緒に作った現場の編集部員や学生たちの存在は無関係であるという認識でおり、またそれは事実なのですが、しかし今回、セクシャルハラスメント行為をした渡部氏や、口止めをしたとされる教員が「早稲田文学」に関わりをもつ人物であるとの記事が出たことから、今回の事件と「早稲田文学」が関連するものと受けとめる方がいることもじゅうぶんに理解できますし、わたしも動揺を隠せません。
 また、ハラスメントの問題は、フェミニズム全般や「女性号」に特有のものではないのですが、刊行のタイミングや、被害に遭われた方が早稲田大学で文学を学ぶ女性であったことなどから、ここにも事件と「早稲田文学」の関係性を見られる方がいることも理解できます。
 外部編集委員のひとりにすぎないわたしがこのようなことを書くのは筋違いであるとも思うのですが、少なくとも、わたしが責任編集で関わった「女性号」に原稿をお寄せくださった方々、再録を許可してくださった方々、また大きな期待を寄せて購読してくださった方々に不信感を与えることになったかもしれず、そのことを、たいへん残念に思っています。

 

 大学に限らず、また男女を問わず、表現とハラスメントをめぐる問題は根深く、深刻な問題をはらんでいます。わたしがこの仕事をはじめてからの十数年のあいだにも、出版業界におけるハラスメントにまつわるたくさんの出来事を見聞きしてきました。わたし自身、慎重に気をつけてきたつもりでも──ハラスメントがある種の常識としてあり、無知であった社会に育ち、人格を形成してきた以上、すでに内面化している部分はあったはずで、知らないうちにそれらに加担していたこともあったはずです。
 その反省とともに、今後よりいっそう懸念しなければならないと思っているのは、自分があらゆるハラスメントと無縁ではないこと、誰もが当事者たりえることをしっかりと認識し、みんなが自分の意見や異見を表明できる環境を作っていくことだと思います。様々な現場でまかり通っていた「異常な常識」は、具体的なことから変えていかねばなりませんし、変えられるはずだと思っています。創作は必ずしも正しさを追求するものではありませんが、しかしこれらの問題にしっかりと向きあい、考えてゆきたいと思っています。
 そのためにも、今はきちんとした調査結果の報告を待ちたいと思います。

 

川上未映子

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