2014.05.15
朔太郎はんの、うろうろ
先日は萩原朔太郎忌にいらしてくださったみなさま、どうもありがとうございました。マンドリン演奏、合唱、朗読、そして三浦雅士さんとの対談、吉増剛造さんと三浦さんとの対談などで会はみっちりしつつも和やかで、なんとも贅沢な時間を過ごすことができました。
わたしは詩人の知りあいや友人がほとんどいないので、詩、といえばひとりで書いてほかの詩人の詩をひとりで読むだけで、詩をやってる人と詩について話をする機会がほとんどないままきたのだけれど、この2年くらいのあいだで少しずーつ、そういう時間をもつことができたりして、詩人たちと、あるいは詩が中心にある人たち、詩歌のことを考えている人たちとそれらについて話しすることがとても新鮮で、そしてとてもうれしいのだった。
それは今回もそうで、三浦さんとの対話、それから三浦さんと吉増さんの対話によって、朔太郎とその作品にもっていたわたしのイメージがぐらぐらになって、手元でひらいて目にしてた詩が対話の最中にみるみる変化&変質してゆくのを目の当たりにしておおおおおこれはすごいな、文字のほうはなーんにも変わってないまま記されたままやのに、まったく違う詩になっていってるな、わたしいまそれを見てるのやなというあんばいで最高だった。この日はわたしにとって朔太郎との出会い直しの意味をもつような、そんな忘れられない日になりました。
韻文であれ散文であれ、それを読むときにはそれだけを読まなあかんのに、たとえば学校で詩を習ったときにくっついてくる三つ子の魂的ムードのせいで、詩にはいつも何かしらメッセージが必須であると、素朴に私小説的文脈というか、詩人はいつだってその人の人生や苦悩や境遇をうたうもの・あるいはうたってしまうもの、であるかのような、そんな了解がやっぱりあるようにも感じていて、そういうのをみんなでそれぞれそれなりに一生懸命がんばって無効にしてきたのが現代詩の無数にあるがんばりのひとつでもあるはずなのにしかしこれがなかなかにしぶとく、なんのことはない、わたしも朔太郎を読むとき、読んでいたときに、その了解からは自由ではなかった、あるいはこれからだってなれないのかもしれないのだと、そんなことをあらためて思わされもしたのだった。
哲学者が真理っぽい何かに到達するために論理をもちいるように(あるいは論理を信じるように)、詩人がもちいるのが(信じるのが)言葉だとして、たとえば中也などの詩にはそれをときどき感じるけれど、朔太郎の詩には公共的な使命や立身出世の緊張感がみなぎりすぎるほどにみなぎって、若いころは、それがどうも、こう、重要でないような気がして、のれなかったことを思いだしてそれを話したりもした(もちろん、当時のわたしがただ見たいものを見ていただけの話なのかもしれない)。
しかし中也と朔太郎は、年齢がちがう。
少しの差かもしれないけれど、生における滞空時間がちがうということが、創作に関係しないわけがないのだよね。
やっ、詩じたいに年齢は関係ないといえばそういう面もあるけれど、それが出てくる精神については頓着するが肉体についてはそうしない、という道理はないのであって、年齢をささえる <時間> というのはやはり創作と作品においてはべらぼうに巨大なルールなのだとそういうこと、思いしらされることばっかりだ。
ところで今回、朔太郎を読み返していて、定型詩もいいけれど散文詩は気負いがないように思えるところもあっていいね。
檄文や、構えた論や説明よりも、朔太郎のした<仕事>をそのまま表しているような、そんな読み方もできるような気がする。
たとえば「坂」。ここに書かれてるような幻想と覚醒とのあいだのうろうろが、朔太郎の仕事にとっての脳髄にして臓器のような、そんなような、気もする。