2014.06.12
小さく、無力な、子どもたち
今朝、週刊新潮の連載コラム用に、厚木の5歳児餓死事件についてのことを書こうと色々なことを調べていた。数年前にあった大阪での二児の餓死事件との報道内容の違いについて書くつもりだった。事件後、交友関係や異性関係、職歴やSNSでの書き込みの記録、そして家族関係のみならず、それぞれの職歴、プライバシーのほぼすべてが報道された大阪の母親への追及と、厚木の父親へのそれとの違いについて。こういった犯罪が起きた場合の、男女、あるいは、母親と父親における非対称性について、書こうと思っていた。
たとえば、厚木の事件では家を出た母親は県警による事情聴取を受けた。そして見落としているかもしれないけれど、大阪の事件では元夫・子どもたちの父親は取材は受けても事情聴取はされていない。たとえばこういった差を作っているのは何なのか。前者はDV被害による家出で、後者は離婚が成立した状態だから、ということなのだろうか。
それもあるかもしれない。しかし、「母親と父親への責任追及の差」は、それとはべつのところにも存在している。
たとえば厚木の事件にかんしては「どうして母親はひとりで逃げて、子どもを連れてゆかなかったのか。DVが息子に向かうことを考えなかったのか」と多くの人が思ったはずだ。
そして大阪の事件にかんしては「どうして離婚した父親は、子どもたちを引き取らなかったのか。養育費はちゃんと支払われていたのだろうか。ネグレクトは予想できなかったのか」と多くの人は思わなかったはずだ。
また、大阪の母親の元夫・子どもたちの父親は、インタビューで「(母親を)子どもたちとおなじめに合わせてやりたい」と語った。もし今回、夫のDVが原因で家を出た厚木事件の母親がおなじようなことを発言したら、どう受け止められるだろうか。
子どもにかんする責任の所在は、世間の心情的にはどうしたって母親にあり、また、そうでなければならないのだ。子どもを最終的に守るのは母親じゃないと困るのだ。だって母親なんだから。母性ってそういうものなんだし。母性って母親のものなのだから。このふたつの事件の母親と父親は、自分の子どもよりも異性関係を優先したというおなじような背景があるのに、前者には多くの人が「母親のくせに」と思い、そして後者には多くの人が「父親のくせに」とは思わなかったはずだ。父親が男であることは何の問題もなくても、母親が女であることは許されない───そういった、今に始まったことでもないお馴染みの世間の常識と心情への指摘と批判を、今回も書くつもりだった。
でも、厚木の事件や大阪の事件のその状況をあらためて追っていくうちに、書けなくなった。
何もできない小さな子どもが、部屋に残され、数ヶ月もの時間をかけて、餓死したのだ。ひとりきりで死んでいったのだ。電気や水道もとめられ、食べるものもなく、ただひたすらに親を待ち、たまに与えられたおにぎりを貪るように食べ、真っ暗な夜を過ごし、誰も帰ってこない、何も食べるもののない朝を、ひとりで迎えていたのだ。
一分一秒がどんなに怖かっただろう。5歳だから、鍵を開けたり、外にでることだって、どうにかすればできたかもしれない。でもできなかった。父親に言い含められていたことに加えて、衰弱して、動けなかったのかもしれない。2トンのゴミのつまった部屋のなかでひとり、小さな子どもは何をしていたんだろう。どんな気持ちでいただろう。たまに帰ってきた親が、すぐに出ていくためにバタンとドアを閉めたとき、その絶望はどんなだったろう。虫の息で横たわり、最後はそれでもパパ、パパとすがった小さな子ども。そして置き去りにされて、ひとりで死んでいった子ども。誰にも知られずに死んでいった子どもたち。どんなに怖かったことだろう。ひとりきりで。どれだけ泣いただろう。かわいそうでしょうがない。胸がつぶれそうになる。悲惨すぎる。
そんなふうに死んでいった子どもたちのことを思うと、自分たちで動くことができ、話すことができ、食べることができ、眠ることができ、そして今も生きている親たちについて考えることなど、どうでもよくなってしまった。
世の中にまかりとおってることについて考えることは大事なことだけれど、でも、そんな親たちにまつわることなど、書けなくなってしまった。どうしたって、死んだ子どもたちは帰ってこないのだ。子どもたちが味わった地獄は、もう、なかったことにはならないのだ。これは本当のことなのだ。そんなふうに死んでいってしまった子どもたちが存在したことは、なくならない事実なのだ。
今も、おなじような状況にいる子どもたちがどこかにいるのかもしれない。
少しでも所在が不明瞭な場合や虐待の可能性がある場合は、その幼児たちの情報把握に、保健所や区役所、児童相談所、福祉事務所といった行政機関は尽力してほしいと切に願います。